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デジタル画を始める、描く楽しさ。


最近デジタルの絵を描き始めました。

上記にあるのが、描き始めから最近のモノまでの絵になります。

ちなみに文章と一緒になっている絵は、個人的に気に入っているモノです。。。

 

デジタル画、

アナログでのペン画と同じような印象で描けているのかな…?

と思うのですがどうなのでしょう。

 

描いてみてる感じは、アナログより繊細さが表現できているのかも…と、少し思ったり。

拡大ができて、細かなところを描くことができるので。

けれど、アナログでは描くサイズは決まっているので、ペンのサイズを描いているけれど、自宅では難しいかな、という感じ

 

でも、アナログのペン画は、細かく描けない分、感覚的、直感的になって、ある意味別の繊細さが現れるような。そんな感じです。

何はともあれ、楽しんで描くことができています。奮発した甲斐がありました。

 

最近、自分が何が描きたいのかが、少しずつ明確になってきているように思います。

イメージはできていたんだけど、言葉にするのは難しかったりする。

 

私はまだまだ生きていないけれど、人間を描きたいような気がする。

私はバカだから、難しい話とか、「なんとなく」のイメージで受け取ってしまうけど

 

綺麗な女性を描きたい訳でもなく、ただ、、、

 

でも、悲観要素はやっぱり強いかもしれない。

 

最近、SNSに顔のアイコンをつけました。それも絵の存在感が引き立つといいなと思って。

人によって考え方は違うけれど、どんな人が描いているんだろうって、思う人はいて

また、私はあまり展示など活動的にできないので、そこに活動性を持たせた、という感じです。

本当に、大きな大きな公共の場だけれど。

 

あと私の絵は線が細いから、アイコンにできる絵がなかなかないとかね。。。

なんか作れって話なんだけど。まあいいよね。

 

 

『悲観的要素』について

 

私はとても悲観要素が強い方なんだけど、世の中、寄っていると思う。

本当に楽観的な人って、今の時代いるのかな。

 

何か悪さを見つけたらすぐ晒しになるでしょ、こわいよね

やる方がもちろん悪いんだけど、それはお巡りさんに任せるのが一番で

事件は現場で起きてるんだ!!から・・・・・。 なつかし

 

みんなで、それを見世物にして、正論のはずなのに、正論でなくなってしまうような、感じで。

 

こういう時、人の心理を思うんだ、

みんな疲れてるんだろうな…って思っちゃうんだよね

しかも自覚がない人が、きっと溢れてる、だからいつの間にかなっちゃった現代病が増えていく。

目に見える世界が、私も含めて、

 

なんていえばいいのかな

 

もっと夢に満ちると、イイよね。

 

 

なのに私は泣いているような絵をよく描いているけれどね。

そこがゴールな必要な人もいると思うんだ、、

 

私は私と戦っているし。でも戦いは、体に良くないんだよ。

 

悲観的要素は、私の絵の源なんだ。報われる為に。

 

光から目に飛び込んでくる世界に伝染して、我を見失わないで、現実を見たい。

自分自身を感じなければ個性は消えていく。

 

 

アナログからデジタルの絵を描くようになり、私もデジタル化に一歩踏み出しました…!

けれど私は、機械人間には、ならないでしょう。なれるはずない。

アナログも、デジタルも、儚い存在だよ。

 

だから楽しく、付き合っていきたいね。

 

おわり、、!